子曰わく、君子はその言いて、その行ないに過ぐるを恥ず。

中国の思想家、孔子は、実際にできそうにもないことや
威勢のいいことを口にすることを戒め、自分の発言と
行動のバランスをとることの大切さを教えました。

野村監督は、この言葉に共感を抱きながらも、その一方で、
リーダーたるものは、自分の持てる力を十分に発揮するなら、
成功しようが失敗しようがそんなことは問題ない、という発想を
持つことも大切だと語っています。


確かに、そもそも結果を気にしていたら何も生み出すことができません。


「人生、意気に感ず」という言葉があります。

人は情によって動くものです。

理論や知識もさることながら、最後は情に引き付けられて行動することが
多いし、結果的に成功することも少なくありません。

ただし、そのとき、実際に出来そうもないことを口にするな、
あくまでも自分の持てる力を認識したうえで、それを十分に発揮せよ、
というのが孔子の教えです。


少し違和感を覚えませんか?

「出来そうもないこと」をやり遂げるのが仕事であり人生です。

やる前から出来る、出来ないの境界線を作ってしまうような
後ろ向きな考えではダメですよね。

出来ることだけやって出来ないことは放っておく。

なんとなくそんな印象を受けますが、そうではなくもっと深い意味が
あるはずです。


では、自分の持てる力を認識することとはどういうことでしょう。

簡単なようで難しいことですよね。

自分の持てる力を認識するためには、自分のことをいかに客観的に
見ることができているかが問われます。

悲観的過ぎてもダメですし、楽観的過ぎてもしっかりと認識することは
難しいでしょう。

この認識を誤ると、「出来そうなこと」と「出来そうにないこと」の
正確な選別は出来ません。

そう考えると、認識に成功した人が判断した「出来そうなこと」は、
出来る可能性が極めて高く、逆に「出来そうもないこと」は出来る可能性が
極めて低い、ということです。

このことから、一番重要なことは、出来る・出来ないの「選別」ではなく、
正確な選別を行なうための「認識」なのです。


冒頭の野村監督の言葉を私なりに補足してみました。

正確な選別を行なったうえでの「出来そうなこと」に対して、
自分の持てる力を十分に発揮したのであれば、成功しようが失敗しようが
そんなことは問題ない。


先日お伺いした会社の社長がこんなことを言っていました。

「最近の若者はどうも先を読みすぎて行動を控える傾向がある、
 無難な結果だけを求めて大きな一歩が踏み出せない。」

トップの座に上り詰めた社長としては、若き日の自分と比べると、
今の若手に物足りなさを感じているのだと思います。

何も若者に特化した話ではないのですが、社長がいかに若手社員に
期待している部分が大きいかが伺えます。


自分の持てる力を認識したうえで、それを十分に発揮できるリーダーが
出てくることを祈ります。



 【今日の野村監督の言葉】

『大言壮語をつつしみ、自分の持てる力を存分に発揮するならば、
成功しようが失敗しようが人はそれを評価する。』