【織田信長に学ぶ勝者の組織改革】早くも第三回を迎えました。

今回は織田信長の「常識」に挑戦した決断力と行動力を戦国の歴史を変えた
一戦を通して紐解いていきたいと思います。


有名な一戦で長篠の合戦(設楽原の合戦)があります。

天正三年(1575年)五月二十一日、三河長篠城に近い設楽原において、
織田信長率いる織田・徳川連合軍が、当時戦国最強といわれた武田勝頼の
軍に大勝した一戦です。

長篠の合戦は「戦国の歴史を変えた一戦」といわれる所以があります。

それは織田信長が三千丁の鉄砲を三段構えにして、最強武田騎馬軍団に
壊滅的打撃を与えたからです。

そしてそれを実行した織田信長の決断と行動は、新技術への理解という先見の明、
探究心、そして導入へ積極的な行動力を示す例として
取り上げられることが非常に多いです。

しかし、その先見の明や行動力の裏には苦労と挫折の連続がありました。

種子島に鉄砲が伝わったのは天文二年(1543年)のこととされています。
1570年代になると鉄砲の集中利用も盛んに行われていました。

信長自身、石山本願寺との合戦において、雑賀孫一(鈴木 重秀)
要する雑賀衆の鉄砲集中利用やゲリラ戦法に散々苦しめられていました。

その当時は信長よりも敵の方が鉄砲の利用・技術とも進んでいたのです。

この合戦で多くの武将を失った信長は自分自身の痛みと引き換えに
鉄砲利用の有効性に気付いたのでした。

それが鉄砲三千丁を導入した決断力と行動力です。

鉄砲三千丁というのは当時の「常識」をはるかに凌ぐものでした。

信長は確かに先見の明があったのですが、長篠の合戦から考えると
先見の明というよりは有用性がわかった時の迅速な決断力と行動力が
大きな勝因だったのではないでしょうか。

現代社会の技術力の進歩は以前とは比較にならないほど早くなっています。
そのような中で新しい商品、サービスが次々と生み出されています。

しかし、新しいモノを使いこなすにはそれなりの学習が必要です。
それをしないで「新しいモノは使いにくい」・「そんなもの必要無い」
などと目もくれない人が多くいます。

確かに、新しいモノの中には必要ないモノ、無駄なモノもあるでしょう。

しかし、信長の行動力から考えると、世の中が便利だというモノを試しもせず、
必要ないと考える事は常識を打ち破るチャンスを逃しているのかも知れません。

もう一つは信長の決断力です。
「決断」するという事は社長にとって大事な仕事です。
そして社員はそれを「実行」するのです。

逆に言うとダメなのが迷う事、優柔不断な事です。
誰でも迷う事はあります。迷って迷走するよりも
決断をして前に進む事が大事です。
間違っていれば修正すればいいのです。
それが正しい「決断」です。

とは言うものの、かくいう筆者も迷う事はあります。
「決断」に間違いはつきものとして考えています。