今回は、視点を変えることの大切さについて触れてみようと思います。

つい先日、ネパール人とベトナム人の方と、商談をする機会がありました。
両国の方は共に留学経験があり日本語も堪能、日本のビジネス慣習にも精通している
ことから、ごく自然に商談ができたのですが、気になって日本語の勉強のコツを聞くと、
日本に来た頃は全くチンプンカンプンでしたが「必要に迫られて」、そして今でも、
とカバンの中から受験生の頃が懐かしくなる「手製の単語帳」を取り出し、今でも
不明な言葉を書き込んでいます、とのことでした。

日本語を「使わなければならない」環境の重要さ、「日々努力する姿勢」と日本式
商慣習を「すすんで実践している姿勢」に感動したのは言うまでもありませんが、
ふと思いだしたのが「ここがへんだよ日本人」というTV番組のタイトルでした。

この番組は、「日本人」の不思議な点について様々な国の方々が、喧々諤々議論する
という番組でしたが、もしかしたら「日本」で働く、生活するというハードルが
あまりにも高すぎると、日本に対する魅力を感じなくなっていつの日か入国者数が
激減する日が来てしまうのでは?という感覚になったのです。

景気停滞による採用人員の絶対数の減少や、競合他社間での価格・サービス競争
激化により、使用者側からの労働者への期待値は上昇を続け、よりよい人材を求め、
個々人のスキルや能率アップへの期待も加速します。

外国人労働者の方々は、個々の能力は非常に高いのですが、日本人に理解できない
言動の「小さな積み重ね」が、評価を下げてしまうことにつながるケースが近年増加
している感じがします。

よくある勘違いされやすいケースですが、
・母国では先に謝罪せず、理由を述べてから非を認めるのに、日本では「言い訳」は
 あとにして、最初に「すみません」から会話を始めることを求められる。
・もう一度いいですか?聞き取れないです、の意味の「あっ?」という発言が、
 反抗的ととられる。
・「ふさわしい服装」や「・・・そんな感じでやって下さい」など曖昧すぎて、 
 基準がわからないことが多すぎる。
・日本ほど過度な「相槌をうつ」習慣がないために、理解度が疑わしいと思われる。

等々きりがないです。

日本に来たからには日本のやり方、という考え方が加速して、理由の説明もなく、
余裕のない対人対応が続いて、何でも「押しつけ」になってしまうと、
もしかしたら「魅力のない国」と思われる日が早くやってくるのかもしれません。

異文化交流、多文化共生、クロスカルチャー等々表現の違いはありますが、
息つく暇もない時勢だからこそ、相手の視点に立って「彼らにとって不思議なこと
を理解してもらう」ぐらいの気持ちで接し、「相手の反応」=イコール=
「自分のコミュニケーション点数」という相手目線の練習が必要と感じています。