このシリーズも残すところ後1回となりました。
今回は雇用契約における様々なステージの中でも、最もトラブルになり易い
(解雇・退職)についてお話したいと思います。


まず原則論から申し上げますと、雇用契約も「契約」である以上、契約当事者は
「何時でも」解約することはできます(民法627条)。この場合の解約とは、
継続的な債権債務契約である雇用契約を「将来に向けて」効力を失わせること
であり、一般的に使用者側→「解雇」、労働者側→「退職」となります。


第1回でもお話しましたが、雇用契約は双方の意思の合致のみで成立する
「諾成契約」ですので、解約においても双方の意思表示のみで成立します。
告知期間として最短2週間があれば、契約自由の原則から「解約」も何ら制約を
受けないという考え方が根底にあります。

契約(自由)至上主義が浸透しているアメリカでは、特にこの傾向は顕著であり、
随意雇用原則「employment-at-will doctrine」として、双方において
「いかなる理由によろうとも」随意(at-will)に雇用契約を解約することが
可能です。従いまして、使用者側からの解雇もなんら法規制を受けません。


ところが、日本におけるこの使用者側→「解雇」を取り巻く状況(法規制)は、
世界標準からも見てもかなり特殊な状況にあると言えます。
戦後の労働法整備が進む過程の中で、裁判所の解雇をめぐる対応は必ずしも
解雇自由の原則を貫徹するのではなく、むしろケースに応じて解雇無効とする
判断が主流となりました。

その背景には日本型雇用慣行である終身雇用や年功序列など、一つの会社に
定年まで勤め上げてこその「滅私奉公的」な職業観があったのかと思います。
当然のことながら転職市場は未成熟であり、一旦会社から放逐されてしまうと
新たに職を見つけることが困難であり、途端に深刻な生活危機をもたらすことに
なってしまいます。

つまり、高度成長期には社会全体が雇用の受け皿として、双方において少々の
問題があっても定年まで雇用関係を維持する余裕とムードがあったわけです。

解雇が「客観的・合理的な理由を欠き社会通念上相当として認めることが
出来ない場合は、その権利を濫用したものとして無効とする」という
この有名なモデル裁判例(日本食塩事件)が昭和50年に出されたのも、
当時の世相をよく表しています。
昭和30年から約20年続いた右肩上がりの高度経済成長も、中東戦争を発端とする
オイルショックと伴に終焉したのが、このタイミングだからです。

2003年の労基法改正によって、この判例は労基法18条の2として法律化され、
その後労契法16条に引き継がれています。この解雇権濫用の禁止に加え、
解雇予告の義務付けや一定状況(業務災害休業や産前産後とその後30日間)
における解雇の禁止、また育介法や均等法、労組法など様々な法律によって、
この解雇についてある意味「ガチガチ」な法規制をかけています。


冒頭で申し上げた契約(解約)自由を定めた一般法である民法に対して、
労基法はじめこれらの特別法が効力としては勝るわけです。


このモデル裁判例から35年、バブル崩壊から失われた10年と日本をとりまく
経済環境は転換期を迎え、転職はもちろんのこと派遣や請負、契約社員や
パートタイマーなど労働環境や働き方も大きく様変わりしました。

これらの非正規労働者の増加は、正社員を一旦雇い入れると容易には解雇出来ない
というこの日本の厳格な法規制に対して、企業側の苦肉の策によるものかも
知れません。また、それが雇い止めや派遣切りなどの新たな労働問題を生み出す
火種となっています。

この解雇のあり方について、現状の法理がうまく機能・対応しきれていないのは
明らかであり、これからの新しい時代に向けての準備が急務となります。


次回の最終回において、雇用契約の「契約」という原点に立ち返り、使用者と
労働者における契約原則を定めた労働契約法についてお話したいと思います。