前回、意思表示の効力の発生時期について、原則として相手方に到達したとき
(到達主義の原則)にその効力を持つとお話しました。

では、いったん提出した退職願いの撤回は可能なのでしょうか?
例えば、Aさんが週末に直属の上司(B係長)に退職願いを提出しましたが、
休みの間によくよく考えた結果、やはりこの仕事を続けることにしました。

この場合、一度提出した退職願いは無かったことにできるのでしょうか?


雇用契約は、申込と承諾の二つの意思表示が合致したときに成立しますが、
雇用契約の終了場面ではどのようになるのか、まずは確認したいと思います。

大きく分けまして、以下の二つのケースが考えられます。

<1> 労使双方の意思の合致による場合(合意退職)
<2> 一方の当事者の意思による場合(労働者→辞職・使用者→解雇)

このAさんの退職願いを、合意退職の申込みの意思表示とするか、あるいは
一方的な退職の意思表示とするかは意見の分かれるところではありますが、
一般的に労使双方の円満な雇用契約の解消を前提として考えますと、この
退職願いは合意退職の申込みであると言えます。

ただ、いずれのケースにおきましても「その意思表示が相手方に到達している
と評価できるかどうか」がポイントになります。

仮に、Aさんの退職願いが未だB係長の手元にあり、社長や人事部長など人事権
を有するしかるべき方に渡っていないのであれば、どうでしょうか?

判例では、退職願いを受け取った者が退職の意思表示の受理(退職の承諾)する
権限を持つかどうかで判断が異なります。B係長には自身の判断によりAさんの
退職を承諾することはできませんので、この場合は単に退職願いを「預っている」
に過ぎないことになります。

また、当然のことながらAさんの退職願いに基づく人事決済など、使用者として
何からの承諾の意思表示が発信(到達主義の例外)されていないことも明らか
ですので、退職の意思表示そのものが到達していないと評価できます。
(白頭学院事件)

ですので、この時点ではAさんの退職願いの撤回は可能であると言えます。

一方で、直接人事部長に退職願いを手渡し、それを人事部長が受け取ったこと
(受領)が、退職の意思表示への承諾の意思表示とされ、その後の退職願いの
撤回が認められなかったケースもあります。(大隈鉄工所事件)


このようなケースにおいてトラブルを避けるには、

<1> 退職願いの取扱いに関するルール、とりわけ退職願いの承認権限など
    人事権がどこにあるのか、その所在を予め明確にしておくこと
<2> 退職願いが単なる「預り」ではなく、正式な受理・承諾であることの
    記録を残すこと(日付入りの決済者印の押印など)

そして実際に退職願いが提出された場合には、速やかに稟議に回して決済が
下りた旨を本人に伝えることが重要となります。
※承諾は発信のみで足りますが、やはりきちんと伝える必要はあります。


実務的には、退職願いの受理後の撤回について、当事者間の合意があれば実際に
行われているケースもあるかと思いますが、無用なトラブルや当事者以外への
波及的な混乱を避けるためにも、原則を理解した上でその取扱いに関するルール
や手順をしっかり整えておく必要があります。